「善意の転載」ミシュランの☆と人気度の★

つい先日に私の名前での記事を氏に作成してもらいましたが、内容に対するコメントは元記事の作成者さんの意

見がただいま保留でらっしゃるので今は控えさせていただきます。


つい最近も「転載はすばらしい!」という新たな記事を作成したようで、早速コメントを入れましたがすぐに削除を

されました。本当に都合の悪いものは排除する癖は今年も健在のようです。もういい「お年」なのですが。


ヤフーブログには人気度に応じて点灯するという「全く無意味な」ものが存在しています。これはどんなに不味くて

も広告費をふんだんに使えば「とりあえず」客足は順調なお店のようにですが。そこには味はまったく別として

客寄せに必要なキャラクターから割引券など「味には関係の無き」部分で盛り込まれており、毎日の来場者数が生き

がいにもにた構図になっています。


「善意の転載」での経営者は先のたとえでいう「食中毒」を起こして「食べたほうが悪い」の理論で批判をあびてい

るわけですが、ことごとく似たような問題を起こしてアクセスアップの恩恵があるのであれば、それは増えると同時

に星をたくさん輝かせるための「釣り広告」になるわけです。ミシュランのいわれるところの「味や品格」を磨いて

心地よい環境を提供することへの「☆」とは全く異なるものなのではと。

そこには批判ではなく「批評」されることで味や態度を改めてより善き環境を目標にがんばる事ができますが、

「ん?不味い」と本に書かれてその意味も理解せずにただ怒りに任せて文句を言ったり謝罪を求めているようでは

信頼関係は作ることは難しいでしょう。そこには「料理の前にお客はいない」構図なのですから。

批評する側が偉いのではありません。批評される側に問題があるわけでもありません。その先にある「もっと善き

状態の期待」からのエールでもあるのです。(戦争時の兵器開発は除く)


「初心者教習ブログ」(本人の言うところの啓蒙ではありません)を謳うのであれば、常に自分を磨いて批評を受け

入れて、尊敬されなければいけないと思います。


結局は「いじめ問題」も「テオドール問題」の転載も、当人にとってはスポーツ新聞の明らかな釣りな見出しと同じ

ものだったのでしょうか。それならば「部数」を稼ぐことは比較的簡単ですが、本当に「狼がやってきた」時には

誰も助けないでしょう。


そしてそういうときに限って言うのです。「なぜ僕だけが!」と。