「善意の転載」 被災者の方の一意見
今日は12年前に神戸の震災に遭われた方とお話が出来ました。当時の話をいろいろとお聞きできましたが、
話の中で問いかけを聞いてくださいました。
※あくまでも一意見です。
※もし地震が来てから避難される・している時点でたくさんの情報がネットにて伝えられているとき、そのなかで
とても危険・緊急性を要する文面を目にしたときにどのように思われるのか。それを転載しようと思われるのか。
日ごろとても言葉を選んでお話をされる方ですので時間をかけて応えていただけると思っていましたが、それは
全く逆なものとなりました。問いかけに対して直ぐに話が始まりました。(以下要約です。)
「当時は交通機関も全て麻痺している状態のなか、会社もしばらくは行けない状態が続いてようやく電車が動き始め
るようになっても朝の4時に家を出て行列に並び会社に10時に到着する状態でした。
そのうちに少しづつ道路も復旧されてきたのですが、「あの道は開通した」とかの情報はほとんどはデマというか
勝手に育ってしまってそれを信じて走ると通行止めという事がたくさんありました。」
「いくら正しい情報がネットで書かれていても残念ながらいたずらと言うか、間違った情報がそこにあれば
どうやってその真偽を確かめられるのかわかりません。」
「可能であるのであれば公的機関の情報以外は一切ネット上に載せないで欲しい。全て書かせないように規制をして
守って欲しい。そしてもしも新たな情報があるのであれば一旦公的機関がそれをちゃんと確かめた上で情報配信を
してもらいたい。」
「転載と言う行動が何の役に立つのか理解し難い。メリットは一切ない。」
あくまでも一意見ですが、実際の言葉は強くて濁りのない印象でした。自分はネットを通して何かしらの情報を
配信するかも・・・などと簡単に考えている部分がありましたが、全否定に近い回答を聞けて感謝しています。
転載をお願いするべきの目的が実は当事者の方々へのメッセージではなくて転載する人々のつながりツールとしての
役割が大きくなるようであれば、なるほど事後のフォローも何も更新もなくある種イベントに思われても仕方ないと
納得してしまうようなインパクトがありました。
どんなに飾っても「はりぼて」では中身を語ることは出来ないのでしょう。