「善意の転載」 レギュレーション無きレース
昔から車のレースが好きなので、仲間が集まるとプレステのグランツーリスモでタイムアタックを朝までしてます。
お互い「ひいき」の車があるのですが、駆動方式がばらばらなのと馬力もまたそれぞれなのでどこかで線引きを
しないと誰かの圧勝・誰かの連敗という結果になります。
熱中し始めるとそれこそコンマ何秒の世界に突入するので気が抜けません。本来ならば暫定トップの人間も真剣に
相手の運転と、得意・不得意のコーナーを見ながら学習することに。結果、一人では到底無理であろうタイムを
叩き出す結果になっていきます。
ドイツにニュルブルクリンクという有名なとても長く過酷なコースがあります。いつもここが戦場となりますが
大事なことがレギュレーション・事前の規則を「紳士的な含み」とともに了承しつつ高めていく事でした。
たとえばですが
① タイヤによってタイムが相当に影響されるので、種類は皆、同一のものを選択すること。
② パワー(馬力)の制限、高ければいいものでもないが最高馬力の上限内で収めること。
「ただし上限内であれば馬力をいちいち申告することは必要なし・相手の詳細を聞く・教えるも自由」
いろいろと制限を設けましたが、そのなかで一番重視したのが
「故意に壁などにぶつかって跳ね返ったなどしてタイムアップを狙った行為は無効」でした。
これをすると恐ろしく早いタイムを出すことが「容易に」可能です。しかし現実にはただの事故です。
ゲームだから通用する事をオトナが本気で怒りながら指摘するのも大人気ないのですが、実際は本気で怒ります。
それはたかがゲームですが、本気で取り組んだことをさも簡単に安易な方法で達成して周りの批判を受け入れない
態度に「ムカツク」のです。(あー大人気ない・・・)
しかしあーでもこうでもとお互いの出したタイムのリプレイを見てはそのグレーゾーンを透明化していく過程で
「ぶれないゾーン」が生まれます。この範疇ならば受け入れようという妥協ではない紳士協定が出来上がります。
ここまで来ると後は信頼関係が上回るのでその後のお互いのタイム更新報告がより現実味を増して無駄な時間を
そぎ落とす結果になるのです。
ならばグレーゾーンは何のためにあるのか。誰かを優位にするためでなく、極論のぶつけ合いでもなく
最終的に線引きをしなければいけない絶対的条件に至るまで・そしてそれが決定した後に修正する余地のために
さまざまな意見を生かしておくための培養地にできればと考えてます。
遺恨はあれど結果はなかなか覆されない事は誰にでも経験していることです。
今、転載問題はある意味で第二世代に移行というか成長過程であると思います。そこでは今まで着れた・履けた物を
脱ぎ捨ててよりサイズの大きなものを探さなければいけないかもです。
レギュレーションを受け入れる気持ち。それを守る品性。何がダメなのかを(特に自分を)客観的に見る余裕。
それらが欠けてしまうとどんなレースでもチキチキマシンになってしまいます。