枯れる美しさ

いちまいとて同じもののない紅葉した落ち葉をさくりさくりとふみつつまた落ち葉に踏まれつつの短い秋です。

シャンパンの泡もいきなりグラスに注がれて目を覚ましたと思ったら伝言する余裕もありません。

儚いものが似合うための秋ではないとは思いますが、なんとなく冷静に物事をみられる季節かもしれません。



集団自殺サイトへの参加をしようとした人と話をしました。


その人の目的・希望は自分の最期を目の前で見届けてくれる人が「いる」ことへの崇高な憧れだったそうです。

そこには擬態された崇めたくなるものが降り立つのでしょうか。純度の高い透明な何かを汚したくない気持ちなのでしょうか。

その瞬間にはとても神聖なものを感じたそうです。それはもちろん全てではないでしょう。でも。



落ち葉が次の養分の為に枯れるのであれば自分はいったい何のための養分でなり・足りえるかと考えれば

未だ枯れるに値せず・色を持つに値せずの状態にて落ちるのはとてももったいないと。


ましてや体内では毎日、死と誕生の繰り返しです。

落ち行く葉ではなく、実は樹である自分がそこにはあると思います。

そして樹なる地球と葉なる人間との関係には生きた養分が必要になるはずです。