2008年 逃避の旅

アーサー・C・クラーク  ロバート・A・ハインライン・・・

とにかくSFが大好きで、ページをめくれば頭の中は勝手に想像・創造したキャラクターがうようよで。



絶対に終わらない議論をずっとしていたり。

昔は2001年宇宙の旅のほうが好きだったのが、今では2010年に惹かれてしまう。



見るもの・見たもの  聞くもの・聞いたもの   考えるもの・考えたもの・・・

無音の圧力


先代の教え・未来からの教え。

全てが回転してループしながらも同じ色がないくらいに。



できるだけ手の届く範囲にお菓子だ飲み物だと操縦席のように置きながら、2010年を観る。


近づきたいものと接触してはいけない境界線を探索しつつな毎日の地球の旅から少し離れたい度に。

扇から生まれて伽羅に溶かされるもの

「    」と発した言葉を扇で相手にそよそよと、可能な限り冷静に&できれば全てが届きますようにと送り出す。


しかしながら言葉というものは自分の分身みたいなものなので、あっちこっちで寄り道の繰り返し。


寄り道しすぎて日が暮れて  なきながら戻ることもしばしば(多々・・)




ふわり




香のある言葉・そして間違えようのない言葉の香りについてゆく。

末裔のためのプレリュード

人間というカタチの生き物が生まれてから戦争や天変地異などを経て、奇蹟なのか運命なのか、今を生きています。

遥か遠い過去から継承しているはずのDNAは途中で欠損もしくはそこにアクセスするのを半ばあきらめたのか、

もしくは人としてそこに「到達」してはいけないものなのかも含めてイコンのように飾られています。



「?」から「!」までの距離や時間は思っている以上に永く、たまには世代を超えて継承されます。

様々な生きていた何かしらを数十年かけて生きる糧にしながらそれを解明もしくは理解するための価値は・・




蜉蝣のように・蝉のように・紅葉の後の葉のような哲学は人はなかなか触れることがない場所に。

様々な哲学を経験して、継承して、その後の心の蒸留が過ぎればそこで「おしまい」・・・ではなく

はじまりのはじまりだと思いたいです。




様々な経験を経てカタチを変え色を変え、どこかの何かが見つけられるような明かりを灯して火を焚いて。

そして「?」が「!」に変わるとき、思った以上に速い速度でDNAは二本足で歩き出します。

そばにいる人の裾を少し引っ張りながら「少しだけいさせてください」と旅に出ます。



バイオリンは英語ではありません。琴は日本語でもありません。

通じても然り、通じなくても然り。

人間の話す言葉もまた然り。



猫に慰められる事はあっても、悲しい気持ちの猫を慰めることさえ気づかないのであれば、人はまだまだ

攪拌すべき命題がプレリュード以前にあるのかもしれません。

枯れる美しさ

いちまいとて同じもののない紅葉した落ち葉をさくりさくりとふみつつまた落ち葉に踏まれつつの短い秋です。

シャンパンの泡もいきなりグラスに注がれて目を覚ましたと思ったら伝言する余裕もありません。

儚いものが似合うための秋ではないとは思いますが、なんとなく冷静に物事をみられる季節かもしれません。



集団自殺サイトへの参加をしようとした人と話をしました。


その人の目的・希望は自分の最期を目の前で見届けてくれる人が「いる」ことへの崇高な憧れだったそうです。

そこには擬態された崇めたくなるものが降り立つのでしょうか。純度の高い透明な何かを汚したくない気持ちなのでしょうか。

その瞬間にはとても神聖なものを感じたそうです。それはもちろん全てではないでしょう。でも。



落ち葉が次の養分の為に枯れるのであれば自分はいったい何のための養分でなり・足りえるかと考えれば

未だ枯れるに値せず・色を持つに値せずの状態にて落ちるのはとてももったいないと。


ましてや体内では毎日、死と誕生の繰り返しです。

落ち行く葉ではなく、実は樹である自分がそこにはあると思います。

そして樹なる地球と葉なる人間との関係には生きた養分が必要になるはずです。

袖をふる はたりと

画面の前でたくさんの言葉に触れているとそれはたくさんの袖に触れ合うことにもなるわけで

現実の出会いでは難しいことができたりも。


ほぼ自由意志で袖を触れ合う環境に。


仕事を終えて赤蘇芳色の空のなか、銀鼠色のスーツの集団をかきわけて帰宅と同時に金茶色のお酒をごくごくと。


そして白い布にリセットしてから今日は何色を纏おうか・纏われてしまおうかと、りくりくと徘徊などしてみるのでした。





今ここにいるということは、良くも悪くも様々な体験や経験の塊りと親・先祖からつながっているものの縁の先っちょ・代表選手が自分なわけで

本当のところはひとつの「個」として・それ自体が既に「国」みたいなものであるはずですが、なかなかそうにもいきません。

袖が触れ合うたびにはっきりだったりぼかしたりと色は変わっていきます。



固有の色はあれど精神的な代謝はそれを凌駕している(はず)ので、たまにこだわりが邪魔をして新しい色を拒否したりもしますが

それが混ざることによって塩梅がよくなったりするのも拒否できないところです。

意識がそれを認めた頃には既にキモチは染まっていたりも。



するとそこには敵味方とかではなくたくさんの色がそこにたくさん存在することで自分を俯瞰的に見ることも出来るようになって

目を凝らすと似ているようで非なる色であることもまた再認識できる時間をもてることにもなるかもしれません。



平安時代には葉の裏の色までも愛でる心があったということですが、そこから引き継いでいる「さきっちょ」でもあるので

ネットもまた「えにし」と「色」を愛でることもまだまだ深く出来るはずだと思います。


そしてネットだからこその似て非なる色を見出せるチャンスもまたあると思います。

電子の力を借りて平安時代の彩りを別な形で経験しているような錯覚と妄想はそんなに嫌いではありません。

無風の風

なるべく風を意識して歩いていようとすると、場所によってそれには香りがついてくる。

風はそこに停滞するわけではなく、ちょっと前には公園の木々の間を通り抜けて葉っぱの息を吸いながらこちらに向かって

直前に焼き鳥のニオイに包まれて自分の周りを通り過ぎたりもする。



そのような一生に一度の出会いなのに麻痺をする。



画面から風は吹いてはこない。

あるのは目から入った「あるもの」が記憶や経験の壁を吹き抜けて、あるいは対流しながら流れていく。

その壁を撫ぜられたときに風が吹く。


無風の風が通ってほしい道に音の異なる鈴を飾る。

その一生に一度かもしれない出会いに麻痺しないようにと。


その鈴を鳴らした風がどちらにいったか追いかけたいので

道端に蝋燭を灯したりもする。

マイナスでよかった

小学生を通じて毎年の通信簿に必ず担任の字で書かれていたのは「どうやっても片付けができないようです」の文字でした。

かたづけができないその一方で、恐ろしくミリ単位までこだわるような遊びなんかをしていた当時はあまりにも極端な。

サイコロを黙々と転がしてはどの数字が1番出るかなど、自分が終わらなければ終わらないものに熱中したりしていました。



しかしながらその極端さが年を経て仕事のメリットの一部になるなんて思いも寄りませんでしたが。



ある職種においては7秒で解雇されるでしょうし。それはそれできっと当然のことなんでしょうし。

600秒くらい忍耐力と集中力があればきっと人生もまた変わっていたかもしれません。



でも別な分野で2300秒くらい集中できることもあるのでこれはこれで良かったことにしています。

何を持ってマイナスになるという定義はとても難しいのですが、そのマイナスがあるおかげで+を探す元気が出るのは事実です。



雁という鳥は、よく鳴く鳥は助かって、鳴かないものは殺されるという話を聞いたことがあります。

これが木雁という言葉(だったか?)になると、逆に良い木は刈られて、そうでないものは残されるとも。



2年前にいきなり花粉症・しかも通常の1000倍の過敏度で粘膜が異常をきたす経験をしましたが、そんな+はいりません。